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本日も、石巻の友人の話を綴りたいと思います。

【震災後~NTT固定電話が復活するまで】

この間、私は、彼女と連絡が付かずにいました。

私は、オフィスで、5分間もの長く大きい揺れに耐えた後、
NHKで、宮城県北部が震源地で、しかも、震度6~7の数字を見た瞬間、
彼女に即効メールをしました。
手が震えて、なかなか思った事が打てなく、14:54送信しました。

しかし、その後、彼女は昨日書いたような状態でしたので、連絡が取れるはずもなく、
津波が、ライフラインを全て破壊して、去ってゆきました。

その後、彼女と連絡が取れたのは、NTT固定回線が復活した3/21…つまり10日後です。

その10日間、電話が繋がらない状態だったので、
誰とも、連絡が取れず、安否を伝えたくても、伝えられない状態にありました。

その間、彼女は、被災を免れた親戚のお家で、食事のお世話になっていたそう。
彼女の旦那様は、石巻のあらゆるところに、ご両親、妹さん、ご親戚がお住まいなのです。
なので、避難所に入らなかったようです。

避難所に入るしかない人がいる中で、彼女は恵まれている…と言えるかも知れません。


【10日でNTT回線復活】

ライフラインで、一番早く復活したのは、NTTの固定電話でした。

彼女から私は、石巻のNTTの固定電話の回線が復活してから、
週1回は、彼女に電話をかけるようにしています。
彼女が、NTT回線が繋がったその日に「いつでも電話して。」と電話して来た事もありますが、
少しでも、彼女の気分転換になれば…と思うのと、
こちらからかけた方が、被災した彼女にとっては経済的と思うからです。

お話上手の彼女なので、私は聞き役になっている事が多いのですが、
1~2時間、電話で話しているのはザラ。
ACのCMで「無駄なメールや電話は控えてください。」と言ってますが、
それで彼女の溜まった気持ちが晴れるなら、目をつぶって欲しいと思います。

そんな彼女から、様々な被災地の話を聞く事が出来ました。
彼女は、被災地の中でも、避難所にいる訳ではありませんし、
たまたま、ギリギリ、数十センチ、津波から逃れられた恵まれた人に入ってしまうので、
テレビで見られる程の過酷さはないかも知れません。

しかし、彼女からはニュースでは知りえない話を、聞く事が出来ます。


【被災者にも格差がある?】

これは、彼女が話した訳でなく、私が感じていることです。

彼女は、被災者でもありますが、微妙な位置づけにあるような気がします。

被災したけれども、家は損壊した訳でない為、避難所に入るよりは家に居る方がマシだと思っている、
アパートの1階は全壊状態だけど、2階の自分の家は津波を逃れている、
家族も、夫婦二人きりで、お年寄りや小さい子供がいる訳ではない…

つまり、優先的に、いろんな支援を受けられる立場にないのです。

避難所に居れば、支援物資や食事の配給がありますが、
彼女は、人伝でないと、その情報が入りません。

石巻市の場合、町内会レベルで配給情報が入るそうです。
町内会に近かった彼女は、まだ情報が入りやすかったとのこと。
町内会から遠いところに住んでいる人は、どうされているのでしょうか。
……きちんと配給が回っていますように。

また、1階が全壊状態なので、すぐにでも、部屋を引っ越したいところですが、
彼女のように、若い夫婦だけの家族構成だと、仮設住宅に入れるのは、一番後回しになる…とのことでした。
仮設住宅は、お年寄りや障害者、小さなお子さんがいらっしゃるお家が優先になるらしいです。

甚大な被害を考えれば、これしきを、格差と思わない人もいるかもしれませんが、
それだけ、様々な状況の、様々な被災地の、様々な被災者がいて、様々な事を考慮せねばならず、
全てを対処し切ることは、非常に難しい状況…つまりそれは復興に大変時間がかかるということを、
意味しているのだと思います。


【正に、サバイバルイシュー】

仮設住宅を考えるよりも先に、彼女達は、震災後1週間の時点で、
石巻市の全く被災していないエリアへの引越しを考えたそうです。
しかし、その時点では、すでに遅しで、全ての物件が埋まってしまっていたそうです。

車の場合も同じこと。

彼女のような生活に車が不可欠な地域の場合、皆、同じ事を考え、
すぐに車の購入を考えても、広い地域で、同じ被害に遭っているので、
遠く広いエリアで探しても中古車さえ手に入らない状態でした。

人は、サバイバルを考えた時に、すぐに頭が廻る人がいるんだと思います。
どんなに地が大きく揺さぶられても、しっかり地に足がついた考えが出来る人がいるということ。

サバイバルは、知恵と知識が物を言うということを、強く認識せずに居られません。


【NTT固定電話の次は、日本郵便】

今回の震災で、復旧が速かったNTTと並び、感心したのは日本郵便の存在でした。

「Sちゃんから、レターパックが届いたのよ。ビックリよ。」
それは、固定電話が通って2日後、3/23に彼女に電話した時の第一声でした。

その時点で、佐川やクロネコは、被災地への配達は、配送所に取りに行かねば、
荷物を受け取れない状態にありました。
彼女は、車がないので、遠くの配送所には、取りに行ける状態にありません。

しかし、日本郵便の場合、レターパックならば、家まで配達してくれるというのを、
その私達の共通の友人、Sちゃんが気づいたようなのです。
そこで、Sちゃんは、想像力をはたかせて、被災した彼女の必要そうなグッズを
レターパックで送ったようなのです。

被災した彼女は、「便利なグッズを送ってもらったのよ」と大変喜んでいました。
それは、エネループの携帯用充電器、ポータブルミニ懐中電灯、マルチビタミン、でした。

そこで、私も、彼女のリクエストの物資を送る事にしました。

彼女のリクエストは『赤ちゃんのおしりふき』と『ブルーベリーのサプリメント』

震災後、一度しかお風呂に入れていなかった彼女達は、
水道やガスが復旧しない以上、いつお風呂に入れるかわからない…

そんな時に、「赤ちゃんのおしりふき」

「ブルーベリーのサプリメント」は、頭痛持ちの彼女が毎日飲んでいるサプリだったそうで、
丁度、在庫が切れてしまって、頭痛に悩まされていたそうで…。

私は、その頃、会社命令で自宅待機だったので、即効、家の近所で物資を探しました。
その頃も、震災後の混乱で、東京にも物資がない時でしたので、
普段ならば、すぐ手に入りそうな物資も、スーパーやドラッグストアを梯子しないとありませんでした。

しかし、ラッキーも重なり、全て手に入れて、郵便局から送ることが出来ました。

レターパックは、小包とは違いますが、A4位の大きさのボール紙で出来た封筒です。
その中に入れば、ポストからも投函出来るという優れ物…今回、この存在を初めて知りました。
しかも、書留扱いなので、家まで送ってくれるそうなのです。
郵便局の方曰く「家がそこに建っていれば、そこへ配達します。」とのこと。

その言葉を聞いて、初めて、郵便局ってスゴイ!…と思いました。

しかも、被災地に着いたのは、木曜夕方の投函→土曜午前中です。
あまりの速さに、心底、ビックリしました。

日頃、郵政民営化に大賛成の私ですが、
今回の震災で、本来の郵便局の在り方について、考えさせられた一件でした。

(次回に続く)
東日本大震災で、被災された皆様、及び、ご家族の方々、
心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。
一日も早く復興し、心に平和が戻る日を、お祈りいたします。


今日は、私の石巻の友人について、彼女から聞いた話を残したいと思います。

このような話は、テレビやネットで、うんざりするほど見聞きしていらっしゃるかも知れません。
しかも、1ヶ月経とうとしている段階ですので、今更…という感じもあるかも知れません。

私が、冷静に、感情的にならずにいられるようになるまで、こんなに時間が経ってしまったということです。

私は、私に津波の恐怖に向き合った友人がいるということは、
たった一人であっても、私のこれからの人生にとって、大きな意味があることに感じました。

彼女という存在がいなかったら、こんなにも身近な事として、
また、誰かの安否を本気で気遣い、身につまされるような思いにはならなかったと思うからです。

ですので、刻む為にも、このブログで残したいと思います。


今回は、震災当日のお話です。

【彼女の話】

彼女は、石巻漁港に程近い、海岸線から大体500m程度離れたアパートの2階に住んでいます。

彼女は元々、埼玉県出身ですが、パートナーが実家の海産物加工業を継ぐため、
10年程前、一緒に石巻へ行き、そこで嫁いだのでした。

地震があった時、彼女は、家の中に一人で過ごしていました。

石巻は震度6強。

まず、咄嗟に、玄関に走ったそうです。
玄関のドアを開け、シューズラックが倒れないように止めていたそうです。
これが倒れては、玄関が塞がってしまい、逃げられなくなるからだそう。

彼女の地域は、ここ10年以内の間に、何度も震度6レベルの地震に遭っています。
地震がある度に、私達友人達は、彼女に「大丈夫?」メールを送っていました。
本当に、宮城県は、地震が多いと思います。

なので、今回は「また地震だ」と思ったそう。
ただ、今回は「大きいぞ」とも。

津波警報は、よく発令されるそうですが、
今回がいつもと違ったのは、自分の家の方まで津波が到達したこと。

彼女は、旦那様と自分のと一台ずつ車を所有していますが、
その時は、車で逃げようと思わなかったそうです。

一つは、高台がどこかチェックしていなかったことと、
もう一つは、ご近所さんを見渡したら、皆、2階に上がっていて、
皆で、声を掛け合っていたそうで、車で逃げる事まで考えなかったそう。

でも、これが功を奏したと言っていました。
車で逃げなかったから、助かったと言うのです。

現に、彼女の家よりも山側の方で、避難の車で大渋滞となっており、
その人達の中には、津波に流されて命を落とした人もいるそうなのです。

アパートにとどまった彼女は、津波が到達するのを2階から見ていました。
どんどんアパートの1階が浸水して行き、
あと数十センチすると、2階の自分の部屋に到達するんじゃないかという時、
隣に住むおじさんは、すでに屋根の上に上がっていたそうで、
自分も屋根に、どう上がるべきか、考えたそうです。

しかし、ギリギリ、津波は2階を浸水することなく、引いていき、
彼女や近隣の皆さんも、助かったそうです。

ただ、彼女の車は、どこかへ流され、
アパートの1階は、天井まで浸水してしまったそうです。

【旦那様の話】

同じ日、同じ時、彼女の旦那様は、もっと海よりにある彼の実家の工場にいました。

地震の後、作業を止めて、すぐに家に帰るよう指示があったそうで、
ご自分のご両親が、工場より数メートル高い家に避難したのを見て、
自分は、車で、彼女がいるアパートに戻ろうとしていたそうです。

しかし、工場の近くの見知らぬ人が、「助けて!」という叫び声が聞こえました。
そこで、咄嗟に助けに走ったそうです。
すると、津波が見えたそうで、その叫び声の人と、その近くの人達と一緒に、
近くのアパートに逃げ込んだそうです。

しかし、みるみる内に、どんどん波が上がって来たので、
見知らぬ人の2階の部屋を蹴破って、そこで布団や毛布に包まっていて、
皆で、じっとしていたそう。
まもなく津波が、2階に上がってくるか…というところで、波が引いていったそうです。

彼も、同じように、車で逃げていたら、どうなっていたかということでした。

旦那様のご実家のご両親も無事。
ちょっとだけ高台にあったそうですが、それでも1階が浸水してしまったそう。
1階にあった神棚が免れたと言っていましたが、そんな高さまで到達したのです。

ご実家の工場は、丁度、吹きだまりのようになっているそうで、
近くの瓦礫や車が溜まってしまい、残念ながら、ほぼ全壊。

旦那様の車も、流れて来た車に押し上げられ、
今も、2台の車のその上にあるそうです。

【津波が引いて…】

結果として、彼女のご家族は、皆さん無事だったのですが、
旦那様やご両親の職場を失い、車も使い物にならなくなりました。

ご両親の家は、今住める状態になく、
工場は、近くのガラクタや建材が溜まり、しばらくは使い物にならないそう。
今は、同じ石巻市内の被害の全くない地域に住んでいる義妹の家に、
避難しているそうです。

残ったのは、自分の住むアパートのみ。
家が残っているというのは、不幸中の幸いと思います。

ちなみに、彼女の住むアパートの1階の方…浸水してしまった方は、
その時家にいなかったそうで、別の場所で、無事でいらっしゃったそうです。
ご自分の部屋が全壊なのに、笑顔で、「お互い頑張ろう!」と言っていたそうで、
逆に、励まされる感じだったそうです。

私にとって、旦那様以外、皆さん、お会いしたことがない人ばかりなのですが、
彼女が、これまで、面白おかしく話してくれた石巻話に出てくる人ばかりでしたので、
その人達が、一人でも欠けたなら、私としても、本気で悲しいと思っていました。
一人残らず、無事でいらっしゃる事を、心底願っていました。
なので、彼女の周りの皆さんが、みんな無事で、心底ホッとしています。


次回は、震災後の彼女のお話を綴りたいと思います。
東北関東大震災で、被災された皆様、及び、ご家族の方々、
お悔やみと、心からお見舞い申し上げます。
一日も早く復興し、心に平和が戻る日を、お祈りいたします。


ブログの更新が滞っており、申し訳ありません。
今、皆さんにぜひお知らせしたいのは、
以前ブログに書きました“石巻の親友のその後の話”なのです。
ぜひ、皆さんにもシェアしたいと思っています。
あまりにも、たくさん話があるので、今、整理をしているところです。
しばし、お待ちください。

さて、本日、書きたいこと。

自粛もわかりますが、
被災を免れた私達は、経済活動を維持することが大切です!という事です。

震災後、ディズニーランドを始めとして、
営業をお休みしている施設が多く見受けられます。

昨日の「めざましテレビ」で見たのですが、
マクロミルの調査で、1000人中6割程度の人が「営業を控えるべき」と回答。
「営業するべき」と書いたのは4割程度と少数派でした。

私は、少数派の「営業するべき」派です。

震災から免れた者として、まず、被災地の為に何が出来るのか。
ボランティアのプロではないので、現地に行く事は出来ません。
すると、お金や物資を用意してあげることしかできないと思っています。

しかし、お金や物資を用意してあげるには、私達に収入が必要。
私達の収入が必要ならば、私達がお金を落とす場所に働く皆さんにも収入が必要。
私達がお金を落とす場所に、お金を落とせば、皆が被災地の為にお金や物資を用意して上げられる。

という考え方により、私は、震災以前の経済活動を維持するべきと考えています。

多数派の皆さんは、
「被災地に考慮すべき」とか「余震やら放射能で、その気になれない」など、
お感じの上だと思いますが、この気持ちもわかります。
それに、今は、各地で計画停電もあります。
電気に依存した生活は、電気なしでは、経済活動が萎縮しても仕方ないかも知れません。

しかし、なぜ、私達は被災しなかったのでしょうか?
命を免れたのでしょうか?

物事は、偶然でなく、必然です。
必ず、意味があります。

地震の事を被災者と同じ思いになり悲しみ続け、
繰り返し流されるニュース映像を見て怖がり続け、
生き延びる為に、水や食糧を買い占め続け、
放射能を浴びないように家に閉じこもり続ける為では、決してないと思います。

私は、私達は私達なり、被災者の方達とは違う「課題」が、
突きつけられていると思っています。

被災者への思いやりは、とても大切ですし、忘れてはいけません。

余震も、停電も、放射能も、私だって怖いし不便と思っています。

でも、周りやメディアに惑わされずに、自分を真ん中に置くことが必要です。

自分は、今ここにいて、何をすべきなのか?

冒頭述べたように、何が必要かと考えたり、
私達が、何によって、生活が成り立っていたのか、
“冷静に”頭をめぐらせれば、何か答えは見えてくるはずです。

私は、被災者の皆さんが、前を向いて歩こうと思い始めた時に、
被災を免れた私達が、足を引っ張ってはいけない、
共倒れしてはいけないという思いが、強くあります。

立ち上がろうとして、目先を変えた時に、
その景色も、暗く鬱蒼としていてはダメだと思うのです。

そんな時は、明るい未来を想像出来るようにしてあげたいのです。

なので、ぜひ、被災を免れた私達は、
積極的に、余暇を楽しんだり、美味しいものと食べるとか、
今までの生活を維持する方向で考えてみましょう。

これは、全ての産業や経済がつながっていることも、深く関係しています。

皆で、沈没してはいけません。

被災地を想いながら、私達の培ってきた知恵と知識と知性をつかって、
この苦境を、皆で、乗り越えましょう。
東北関東大震災で、被災された皆様、及び、ご家族の方々、
心からお見舞い申し上げます。
一日も早く、心に平和が戻る日を、お祈りいたします。



「命でんでこ」

テレビで紹介されていたので、ご存知の方も多いと思います。
これは、津波被害に遭われた宮古で語り継がれている言葉らしいです。

“自分の命は、自分で守る”

過去、何度も大きな津波に遭っている土地だからこそ、
生死を分けるその言葉が、その経験者である年配の方々より語り継がれているそうです。

私は、地震直後のインタビューで、
津波から免れたおばあちゃんが語っていたのを見て、初めて知りました。
そして、その言葉の重みを感じています。

親よりも、子よりも、友達よりも…という意味合いにもなりますので、
人によっては、非情に感じるかも知れません。
でも、死と隣り合わせになった時に、そんな選択が必要になってしまう。
そんな体験は、早々巡り合わないかもしれない。
きっと、東北の被災者の皆さんだって、そう思っていたに違いない。

つまり、私達も、どんなシチュエーションで、
どんな生死を分ける場面に出くわすか、全く予知できないし、わからない。

全て、不意に出遭うこと。

今回明らかになったように、特に天災は、誰も予測することは不可能です。

私達は、「命でんでこ」というこの言葉を、頭の片隅でも刻んでおかねばなりません。
「生」を選ぶならば、貪欲に、サバイバルしていかねばなりません。


多くの人の命が奪われた事は、本当に悲しみとやるせなさしか感じません。

しかし、世の中のあらゆる物事には、意味があります。

「天罰がくだった」と、どっかのお偉方が発言されたそうですが、そういうことではありません。
それは、日本人全体に対して、そうおっしゃったのかも知れませんが、
特に犠牲の大きい東北の人が、特に悪さしていたとは、とてもとても思えません。

「現世でのお役目を終えられた」のだと、私は信じています。
だから、多くの魂は、あの世で安らかであると…信じています。

生き残った私達は、「生かされている」と思います。
現世で、やるべき人生の課題が残っているからだと思います。
それは、この苦境を乗り越える事も、含まれています。

この未曽有の多くの死が、日本だけでなく世界にも、
強いメッセージとして、人々の心に、刻まれました。

「命でんでこ」と言う言葉は、「自分の命は自分しか守れない」
転じて、「自分の人生は、自分でしか作れない」という意味合いになるでしょう。

多くの死を、それぞれ、何かのメッセージとして受け取り、
私達のこれからの人生に、活かして行くべきだと、私は思っています。
今、この時点も、必死に、私達国民を守るため、
命かけて、福島第一原発に挑んでいる人達がいる事実。

志願して原発に向かっている人もいると聞きます。

死と隣り合わせの状況に、自ら志願していく。
この平和な日本で、そんな環境になかなか身を投じづらいと思います。
なのに、そんな使命感を持って、向かってくれる勇気…感服します。

これは、「福島で誰かが何か対処してくれてる」という程度の話ではありません。

私達を脅かす存在から、私達の命を守る為、国命として、立ち向かっている。
誰が立ち向かっているか、名前も顔もわからない人達の事を、
自分の家族や仲間の一人が、向かっているくらいの想いを抱くべきだと思います。

私達は、東北の被災者の平穏を祈ると共に、
そんな、昼夜問わず、戦っている人にも、強い祈りのエネルギーを注ごう。

政府や東京電力に、批判のエネルギーを費やしている人へ。

そこに批判の目を向けるエネルギー、頭を巡らすエネルギーを、
どうか、命がけで戦っている人の無事を祈る、
この危機に知恵を巡らすエネルギーに向けて欲しい。

そうしてくれれば、今よりも、もっともっと、彼らのパワーになると思います。

エネルギーは、パワーです。
祈りや願いにエネルギーを注ぐことで、大きなパワーになる。

被災された方の明日へ繋がるパワー、
福島原発に挑む皆さんのバックアップのパワー、
それは、ゆくゆくは、私達の命につながります。

祈りという見えないパワーを侮ってはいけない。
見えないからこそ、計り知れないのです。

これは、手を組んで、神様に祈ってください…と言っている訳ではありません。

いつでも、この震災で、あらゆる立場で戦っている人達がいる事を、
心の中で想い続るだけでも、よいと思います。


被災された方が一日も早く心の平和を取り戻せますように。

原発に挑む皆さんが任務を完了して、元気に家族のところへ戻れますように。

東北や関東、信越で震災に遭われた方に、普段の生活に一日も早く戻れますように。

早く日本に平穏の日が訪れますように。

笑顔あふれる日々が訪れますように。


祈ります…